推敲しません。

胸の内から溢れ出てしまった、主に本や音楽などへの想いを置いておくだけの場所。なので推敲しません。誤字脱字勘違いあり。

母の日にMotherなアーティストを想う

母の日だった。子供達からのプレゼントは、どんなものでもいつだって泣いちゃうくらい嬉しい。
話しはちょっと変わるけど、ここ最近出会ったMotherなアーティストの作品2つの事を。

初めに、山口法子さんの「台所のそこなし」というとても感銘を受けた絵本。
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最初のページの序文から、ハッと感銘を受けた。
載せさせて頂くと、
「ここは台所 すみっこには机があって うまく潜れた時には 少し遠くの場所へ 行ける時もある」

山口法子さんは台所のすみっこの机が制作の場所らしい。小さな娘さんの事も、とてもとても可愛らしく美しくあたたかい絵と一緒に登場する。
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私はアーティストじゃないし何も作品は生み出せないけど、お子さんを持つご家庭の台所の稼働率の高さは良く知っているし、「家の中で自分がいる場所、台所率高いよね」って周りのママさん達と話した事もある。そんな「台所」から生まれる物語りや作品。なんて素敵なんだろうって、限りなく「憧れ」に近い、そしてある種の絶望に繋がる気持ちで、このご本の中の世界に入った。

「憧れ」について。
私はアーティストじゃないから何も生み出せないけど、子供の頃から空想・妄想癖があって、台所で料理や片付けをしている時も何か別の世界を思い浮かべている事がある。そんな台所で、ご自身の持つ世界に「潜り」、作品を生み出しているアーティスト。憧れない訳がない。この、「自身の世界の深淵に潜り、ちゃんと何かを持ち帰って世に出せる」というのが、アーティスト。ただ自分の妄想世界でバタバタ下手な泳ぎで遊んでいるのが、私のようなシロウト妄想癖。はぁ〜。。(ため息)

「ある種の絶望」について。
山口法子さんの物語りに登場する「ヨキ」と言う女の子も、娘さんがモデルなのかな。とてもとても可愛いらしい「ヨキ」と、ファンタジー小説が大好きな私には親しみさえ湧く不思議な生き物たちと、幻想的な情景が織り成す物語りと、愛情深く描かれる娘さんのエピソードが交錯しているのが、本当に素敵。
こんな素敵な「母と娘」。私が得られなくて、そして随分長い間、目の当たりにすると、嫉妬のような憎悪のような絶望に駆られていた事象。

一言、「毒親育ちです!」で済ませてもいいんだけど、色々込み入った事情もあってそうも言い表せない・したくないし、私は逃避型の人間で、ざっっくりイマドキ風に言うと「毒親」であったであろう母からは、「逃げ切った!!!」達成感があるので(笑)もう、どうでも良いと言えば良いのだけど、
素敵な「母と娘」の物語りに触れると、トラウマのように、ちょっと、絶望が顔を出す。


そんな母と娘の良好な関係を築けなかった私に、
「ああ、やっぱり大丈夫なんだ。私も母も大丈夫なんだ、ちゃんと、守られていたんだ。」って確認させてもらえた作品に、同時期に出会って。

森本ナオコさんの、「MOTHER」と言う、大きな絵。人間の真理、宇宙の真理、のような、大きな「愛」の絵。森本さんご本人に「お母さん達の絵なんです。先頭は私です。」とお話しを伺えたのも、何かのご縁かと思い、ありがたかった。


私はファンタジーとSFをとても信頼していて、フィクション・幻想どころかむしろ真理、みたいに思っているのだけど、それは、森本ナオコさんの作品に示されているような、人間1人1人は小さな存在だけど皆大きな何かと繋がっている、永遠とも言える長い時間、宇宙に繋がる広大な世界、そして大きな大きな愛、そんな事を感じさせてくれる作品が多くあるから。森本さんの「MOTHER」で言う所の、「先頭と2番手」の短い繋がりに過ぎない私と母の狭い世界が破綻していた所で、その後ろにどーーんと控えておられる方々から受け継いでいるものもあるのだから、私も母も大丈夫、お互い今回の人生は上手く通じ合えてないけど、そう言う修行なんだよね、お互い頑張ったよね、あちらの世界に還った時、御先祖も労って下さるよきっとね、みたいな、寛大な気持ちになれた。

自分も母なのに、上記の2つの作品に何故かあまり「同じ母としての共感」 のようなものは出てこなかったのも、とても良かったと思っている。深く自分の心と繋がるような「共感」も必要な時もあるけど、アーティストや表現作品は「気づき」を与えて下さる事の方がが多いかも。

MotherなアーティストにもMotherじゃないアーティストにもいつも感謝しています。カーネーションで良ければ贈りたい気持ち。